ダチョウが見る夢

ダチョウが見る夢程度のクオリティ

LINEという心理戦

LINE

それは手軽なコミュニケーションツールである。

「友達登録」とかいう友情の押しつけ合いをすると、チャットができるというそれ。

世界の大半が、身近な人と交換し合っているソレ。

 

そんなLINEであるが、ある日急に搭載された「送信取り消し」機能に我々は日常的な心理戦を余儀なくされた。(主語がデカすぎる)

 

マァそもそも全てのコミュニケーションは駆け引き心理戦のオンパレードであるのというのは間違いないが、「送信取り消し」は私をさらなる混乱の渦に落とし込んだのだ。

混乱ポイントを書き出してみる。

 

1.送信取り消しされると、消された内容が気になる

「送信取り消し」初心者にあるあるだと思われるコレ。

「送信取り消し」とは自分の失言をなかったことにするが、「取り消ししました」という事実は残る。この「事実が残る」というのが非常に厄介なのである。

 

古来から日本では、「やってはいけせん」と言われたことをやりたくなる気持ちにかられるという独自の風土病が存在する。

ちなみに日本人はほぼほぼ罹患してる。

その病気の症状の一環として「見ることができません」と言われると、我々日本人はどうしてもソレを見たくなってしまうのだ。

 

送信取り消しの事実は残るため、我々は「なにかが消されたんだろうな」という事だけを知ることができる。

「送信取り消ししたから見ることができないよ」

LINEからそう告げられる。となると俄然我々は消された内容を知りたくなる。

がしかし「送信取り消し」の力は強く、一度取り消された発言を我々一般人が見ることは到底不可能。「取り消されたものを見たい」という気持ちに駆られながらも、ソレは見れない。我々は悶々とした気持ちになるのである。

 

邪念を消すことで、これは回避できる。未だ悶々としてしまう人は修行をしよう。

 

2.予想外の取り消しで乱されるは心

これは筆者の体験談である。

LINEには既読をつけずとも、送られてきたメッセージの内容を知ることができる裏技が存在する。そう、バナー表示とか通信センターである。

設定で通知をいじくればどうにかなる。

 

私はそれで、友人からランチに招待されていたのを確認したのだ。4つのメッセージにまたがって招待してくれていたので、嬉しかった。

あとで返事をしておこー♪と思い、しばらく未読のままにしておいたのだが…

10分後「送信取り消ししました」の通知。

 

いやいやいやいや、あの友好的なお誘いは何だったんだ。

予定が入っちゃったな…なら別にいいんだ。だけどそれって「ごめーん、予定入っちゃった」でよくないか?

そんなことを気にする私が病気なのか?なんなんだ真相は?なにか気に触ったのか。

送り先を間違えたんか?

次からどんな目で友達を見ればいいんだ。

 

このように取り消された内容をあらかじめ知っていると、自分一人で勝手に心理戦モードに突入してしまうことがたまにある。

いっそ通知を切った方が幸せかもしれん。

 

 

3.送信取り消し後、なにも送られてこないと怖い

そもそも送信取り消しというのは、なにかを訂正したい時に使うと思っている節が私にはあるのだ。

しかし送信取り消しされた後、なにも送られてこなかったということはつまり「送らなきゃよかった事を消した」ということになる。

そんなことなら初めから送るな。思慮深い行動をしなさい。

じゃないと私がこわがっちゃうでしょ!!!愚か者めが。

 

飽きた。まぁこのくらいか?

まぁ誤爆をなんとかできるというのは強いから、あの機能がなくなるとそれはそれで困るんだろうな。

 

自由研究の入賞あるある〈小学校〉

今週のお題「自由研究」

 

誰が選んでるのか知らんけど、いつの間にか入賞が決まる自由研究。

そもそも何の賞なんだよ。知らないんだけど。

まぁともかく個人的なものだけど、いっきまーす。

入賞するかしないかにフォーカスを当てているので、もしかしたら気分を害してしまうかも知れません。それでもよい方、どうぞ。

(筆者は公立の小学校出身です)

 

1.入賞作品に必ず地図が入ってくる

「うーわ絶対手間暇かかっとるわ」と思う作品は誰の目にも好印象に映るが、とりわけ模造紙とかで作成した自作地図なんかはマジで大変そうに見えるので入賞する。

街路樹とか標識とか、市内に散らばっているものをマークしたデカい地図とかは絶対に入賞してる(偏見)。

そんで「僕はここに行ったんだよ!!」という感じの証拠写真が、あからさまに添付されている。

そして、こういう地図はだいたい教育熱心なママさんがバックについているんだよな

ここまでが、あるある。

 

というわけで仮に自由研究で入賞したいと思うのならば、興味のある分野と地図を絡めてフィールドワークをするのがよいかも知れぬ。

 

デメリット:クソ疲れるところ。日に焼けること。

後は地図枠で争いが起こるかもしれないこと。

 

世の中の教育ママは割と思考が同じなので、恐怖の地図かぶりが予想されるのだ。

考えてみよう。頑張るかどうかは任意の自由研究で、君は入賞をねらってわざわざ地図を作成した。そう、わざわざ、よりにもよって地図を作成したんだ。

すぐ丸くなる鉛筆。夏だから汗が滝のように流れる。しかし地図に汗が垂れないようにがんばって…模造紙が売ってあるスーパー(希少)を探し回って…

そしてきたる9月1日。

俺は自由研究に全てを込めた。しめしめ、これで皆の歓声を独り占めだぜ!!とドヤ顔で教室をガラッと開ける。すると、なんとデカい模造紙を持った奴が自分の他に5人もいるじゃあないか。

イヤな予感がしてそいつらに聞く。

「なぁ、なにソレ?」

そいつらは覇気のない目で答えた。

「「「「「地図だけど?(もちろん自由研究の)」」」」」

後は世界大戦。入賞:地図枠を勝ち取るために、血で血を洗う地図の奪い合い&破壊し合いが繰り広げられるのだ…

 

なんか1本小説を書けそうだな。

ともかく、自由研究は入賞作品の内の地図枠を争う心理戦だと私は思っている。

 

 

 

2.市販の自由研究キットを使う人が絶対出てくる

いや別にソレがどうというわけではない。

そもそもそういう商品は、そのために存在するんだ。むしろ正しい使い方をしている。

マともかく、「なんか町中で1度は見たことあるな…」という工作とかをする人が絶対に出てくるのだ。

そんでそういう人は自由研究をやるという意識よりも、自由研究というノルマを果たすという意識が強い気がする。

 

で、キットの説明書を見て作っただけです!ってやつは絶対に入賞しないんだよな。

仮に市販のキットで入賞したいと願うならば、何をしたらいいだろうか。

そこら辺のスノードームのキットを買ってきて、参考にしてからゴミだけで同じものをつくってみるとか。

たくさんの種類の、会社が異なるスノードームのキットを買って、作って、耐久性を調べて、耐久性の違いについての考察をするとか。

 

やりようはある気がするから、だれか市販のキットを使って入賞するという偉業を成し遂げてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

3.入賞作品に納得しないママが先生に抗議する

入賞すると思っていた自分(の子供)の作品が入賞しなかった。

激怒したママさんは顔を真っ赤にして先生にお気持ち表明をする。

そして大体結果は変わらない。スカッとジャパン系のこれ。

手間暇かけた作品を作ったはいいが、ママさんが子供のレベルに合わせるのを忘れていた時とかに起こる現象である。

「明らかに大人が作ったでしょ」って感じの工作とかに多い。

まぁ今は私の時と時代が違うし、小学三年生が自作パソコンを作る世界なので、模型が好きな子がゴッツいガンダムを作ってもおかしくないのかもしれん。

 

大人が介入するんだったら、研究系の方がバレないんじゃないのかしらん。

大人はスケジュールマネージャーにのみ徹して、子供に研究させたらバレなさそう。

それか夏の絵画とかの方が、大人の介入はとがめられない気がする。

 

 

4.量産型研究:「どっかの工場見学に行きました!」

だいたいの人間の自由研究がコレ。

工場に縛られた研究をしてる。そして油断していると工場かぶりをする。

 

こういう類いの、個人的な感想にとどまるやつは、よほどうまくやらないと入賞しない気がする。

工場見学を生かしたいのなら、工場は研究の手段にとどめておいた方がよい。

工場に行きました!ではない。父さんがいつも美味しそうに呑んでいるビール、なんの材料に旨みを感じているのかが知りたかったので、工場見学しました!が正解なのだ。

(偏見)

 似たようなやつで「美術館に行ってきました!」も多分よくない。

 (サイドバーでビールって調べたら、一番上に出てきた)

 

まとめ:

やはり「疑問や目的」「研究過程」「自分なりの結論・まとめ」の3つが自由研究入賞の黄金律なのかしら。しかし入賞したとこでなにか旨みがあるのか?

まぁそこら辺に落ちている葉っぱを観察して記録するだけでも研究になるので、困っている人にはおすすめです。

 なんか自由研究対策本みたいになったな…